オフ会記念・コピー本
一部ネジヒナ学園パラレル

花風

     1

 喜びと恐れ、期待と不安。
 たくさんの相反する感情を抱えて、桜舞う中学の正門へ踏み入る。思えば、ヒナタは小学生の頃から変わらず、教室の隅で黙々と本を読んでいるような慎ましい生徒だった。そんな彼女が級友に言葉を掛けることは珍しく、クラスの皆には、相当に暗い女の子だと思われていたことだろう。
 けれども幼い頃から内向的で恥ずかしがり屋のヒナタは、むしろ注目されることを必要以上に嫌っていて、別段独りぼっちでも、一向に構わないと思っていた。唯一の友人、と呼べるのかは疑問だが、いつも支えてくれる、ふたつ年上の親戚のコウさえいてくれればそれで十分だった。
 三月まで私服で通学していたため、目立たない服に茶色のランドセルで存在を消していたのだが、制服着用の中学ではそうはいかなくなった。極力目立ちたくないヒナタは、学校の制服にかわいさなど求めていないというのに、ここの制服ときたら、近隣の地域でも評判を呼ぶくらい華やかで、今すぐにでもジャージに着替えたいほどだった。
「赤いチェックのリボンとスカートだなんて、地味な私には絶対似合わない……!」
 つい先日そう言って半べそをかいていたヒナタを励ましてくれたのもまた、大好きなコウだった。
「大丈夫。ヒナタちゃんはかわいいから、よく似合っているよ。その濃紺のブレザーも生成り色のベストも、ヒナタちゃんが着ると本当にかわいい。うちの学校にもヒナタちゃんみたいなかわいい子がいてくれたら、もっと勉強にも熱が入るんだけど……。男ばかりで、毎日すごくむさ苦しいんだよ」
 穏やかを絵に描いたような笑顔で言ってくれた彼の、その言葉だけが拠り所だった。

 広い体育館で形式ばった入学式を終えたら、教室へとやって来た。さっそく輪を広げる社交的な生徒たちを後目に、ヒナタはため息をついた。
「せめてここにコウさんがいてくれればなぁ……」
 思わず、本を片手に独り言を零す。その姿はきっと、例の如く変な子に見られていたに違いない。が、馴染みのない校舎の知らない教室で縮こまるヒナタには、周りの目を気にする余裕など一切なかった。
 ひらり、ひらりと窓の外を散り初める花びらは、こんなにもきれいなのに――ヒナタの心の中は、一面の桜色とは対照的に、よどみきった灰色をしていた。
「ヒナタ! また一緒のクラスだな! 中学でもよろしくなっ」
 背中に、衝撃を覚えて振り返れば……そこには、至極やんちゃに笑う、明朗な少年の姿。茶色い短髪と八重歯がいかにも男の子といった雰囲気で、嫌いではないが得意ともいえない、昔からの顔なじみである。さらに、遅れて届いた声から、
「痛そう……キバお前、ちゃんと手加減しろってばよ。ヒナタは女の子だろ」
「なんだ、ナルトかよ。お前も同じクラスか。大して嬉しくねぇな」
「フン! オレだって嬉しくねぇよ。オレはサクラちゃんがいてくれればそれでいい。お前なんて眼中にねぇんだよ」
「ナナナナルト君……?」
 瞬時に顔が火照って、息ができなくなった。しかして両手の人差し指と人差し指を、つんつんと合わせながら思い切り俯く。すると、極限まで小さくなったヒナタを挟んで、陽気なクラスメイトたちの会話が始まった。……何の自慢にもならないが、こういう場面で空気に徹するのは、ヒナタには造作もないことだ。いつものように、無になってやり過ごすことにした。
「ナルトうるさい! あと邪魔! あんた『うずまき』だから端っこの列でしょ。『犬塚』ももれなくあっちだから、あんたたちやっぱり二個一ね」
「サクラちゃーん! キバと一緒にするなってば。どうせなら、『うちは』サスケと同列にしてほしいってばよ」
「何言ってんのよ。出席番号が隣だからって、サスケ君とあんたが一緒のはずないでしょ。全っ然違う! 雲泥の差!」
「おいおいオレの立場はどうなるんだよ……ナルトよりサスケより、オレの方が断然優れてるだろ」
「それはないわー。サスケ君が断トツの一位、あんたたちは同率ドべよ」
「ひでぇ! いや、でもサクラちゃんは将来『春野』から『うずまき』に姓を変える日がくるから……それまでいろいろおあずけだな」
「うぜぇ! どんなプロポーズだよ!」
「うるせぇばーか!」
「ヒナタごめんね。こんな馬鹿ふたりに巻き込んじゃって」
「ううん……」
 とはいえ小さな声で一言返答するのが精一杯だった。
 叶うはずも、叶えるつもりもない片想いの相手の好きな女の子・春野サクラは、桃色の柔らかそうな長い髪に、翡翠色のきれいな目。誰が見てもかわいい、垢抜けた顔立ち。明るく人想いな性格と容姿の艶麗さに、同性のヒナタでも見惚れるほどで、張り合うつもりなどさらさらなかった。かわいいで有名な制服がいちばん似合っているのは、間違いなくサクラなのだとヒナタは思っている。
 ナルトのことは、これからも遠くで見ているだけでいい。太陽のように朗らかな彼から一方的に元気をもらえれば、十分幸せなのだ。

 生徒数の少ない地元の中学に進学したため、知っている顔ぶればかりの教室で、さっそく新しい学生生活が始まる。
「お前ら初っ端からうるさいぞ……さっさと席に着け」
 いかにも気怠そうな面持ちで入ってきた若い男の担任が、いきなり黒板いっぱいに『はたけカカシ』と記名し、ゆるりと向き直った。そして、クラス全体を這うように見回してから、静やかに言った。
「先生は、見ての通りの顔と名前だ。オレもできるだけ早くお前たちのことを覚えるから、お前たちも早くオレを覚えろ」
 ぶっきらぼうなのかものぐさなのか判断がつかない。独特の空気を纏ったその男は、こんな風につっけんどんな物言いをしても不思議と角の立たない得な性分に見えた。さらには目にかかりそうなさらさらの銀色の髪、筋肉質でありながらもすらりとした体格は、ミーハーな女生徒に存外好まれそうだと思った。お節介でもなければ暑苦しくもなさそうな担任にヒナタは安心し、なるべく興味を持たれないよう注力しようと心に決めた。
「入学早々だが先に委員会を決めておく。学級委員に風紀委員……体育委員……あと何だったかな? 放送委員に図書委員に……保健委員、それと飼育委員」
 ところがその後、早々に始まったオリエンテーションなる授業で、ヒナタは即行しくじることになる。
「オレ飼育委員がいい! 家でいっぱい犬飼ってんだ! 動物の世話なら任せてくれ!」
 まず間髪を入れずに立候補したキバが、引っ込み思案なヒナタには眩しかった。……眠そうな切れ長の目を見開いた先生が言う。
「えっと……その席は『犬塚』君か……積極的でよろしい。じゃあ飼育委員は君にお願い。他立候補あるか? ないなら先生が勝手に決めるぞ」
「はーい! はいはい! オレ、体育委員がいい! 運動神経なら誰にも負けない自信があるってばよ」
「お前は『うずまき』君か……威勢がいいな。じゃあ頼む。あ、そうだ……体育委員はふたり必要なんだが、他誰かいないか?」
 何を思ったのか、血迷って挙手しそうになって慌てて引っ込めた。今思えばこれが失敗だったのだが、気づかれていないものと決め込んで再び影に転じた。すると、ナルトのすぐ後ろの席の男の子がおもむろに手を上げた。
「ならオレがやる……どうも聞き捨てならないからな。ナルト、運動神経で誰にも負けないのはこのオレだ。よく覚えておけ」
「なんだとー! サスケこのやろー! オレがお前なんかに負けるかよ!」
「だから、ナルトうるさいって! サスケ君にいちいち突っかかるのはやめなさいよ」
「突っかかってきたのはこいつだろ」
「お前が生意気なこと言うからだろ」
「サスケ……お前、本当にやなやつだな! いつもスカしてるのはお前の方だろ」
「いいぞやれやれ! オレはナルトを推すぜ!」
「じゃあオレはサスケ!」
 小学校の頃からそう――このふたりはいつもクラスの中心にいて、大人げなく争いながらも果然仲が良く、楽しそうにじゃれている。それを級友たちが盛り上げるのは決まった流れになっていた。うちはサスケという男の子は、長めのきれいな黒髪と黒目勝ちで整った顔立ち、低い声とクールな振る舞いで、女の子から絶大な支持を得ている。ご多分に漏れず、ヒナタも彼を格好いいとは思うのだが、なぜだか劣勢のナルトに強く惹かれて、低学年の頃から延々と片想いしているのだった。むしろ自分以外の女の子がなぜナルトの魅力に気づかないのかを、不思議に思うほどなのだ。男の子らしい金色の短髪、碧く澄んだ目に無邪気な笑顔、人懐っこくてやさしい性格が、ヒナタはずっと大好きだった。
(やっぱりナルト君かっこいい……)
 今日初めて見る、紺色の上下、女子のチェックと同色のレジメンタルストライプのネクタイという出で立ちに、そのまま視線をさらわれていたら、
「カカシ先生! これって他薦でもいいんですか?」
 恰幅がよく、おっとりしていて穏和な生徒が真っ直ぐ手を上げた。
「ああ構わん。何か意見があれば遠慮なく言ってくれ」
「ボクは、学級委員に奈良シカマル君を推します! ボクの自慢の友達なんです。頭がよくてしっかりしていて……彼にはクラスをまとめる力があると思います」
「ああそうか。『奈良』君の席はどこだ……いち、に、さんし……おい、あくびするんじゃないよ」
「くっそめんどくせー。チョウジの奴余計なこと言いやがって」
 今しがた発言した秋道チョウジという男の子は、ぽっちゃり体型とほわんとした性格で誤解されがちだが、意外にも誰より男らしく、友達想いで大人な面を持っている。ほとんど話したことはないが、これまでにも一方的に親近感を持っていた。……ヒナタはいつもそう。人のことを遠くから見て勝手に分析し、大して知りもせずに自己完結する。ある意味全員に片想いしているかのようで、そんな消極的な振る舞いでは、一生誰とも打ち解けられないのではないかと寂しく思わないでもない。
 しかし、元来自分に自信がないせいで、人と関わったがゆえに失敗して嫌われたり、そんな自分をもっと嫌いになるくらいなら、初めから独りぼっちの方が楽だと思うのだ。ヒナタは昔から間違いなく日陰側の人間であり、だからこそ眩しいナルトに惹かれたのかもしれない。
「で? 奈良君はやるのやらないの?」
「シカマル逃げるのか? お前が嫌だってんならオレが体育委員と兼任してやってもいいってばよ」
「ナルトには無理よー!」
「サクラちゃーん……」
「だったらオレが飼育委員と兼任してやってもいいぜ!」
「キバにはもっと無理!」
「サクラ……お前、サスケ以外の男はみんな馬鹿だと思ってるだろ」
「そんなことないわよ。私もシカマルに一票。……他に適任者がいると思う?」
「ムカつくがいないな……先生、シカマルに決定でいいでーす!」
「……大丈夫? 奈良君も嫌だったら嫌って言ってもいいから」
「……ちっ仕方ねーな。やりゃあいーんだろ。そこまで言うならやってやる。チョウジ覚えとけよ」
「えへへ、やっぱりリーダーはシカマルだよ。ボクにお手伝いできることがあったら遠慮なく言ってね」
「……今言ったこと忘れるなよ。絶対に手伝えよ」
 彼は一見面倒くさがり屋に見えて、その実絶対的な合理主義者であることをヒナタも知っている。例によってあまり話したことはないが、学級委員はシカマルが適任だと同じく思う。それにしてもまたしても自分の世界で、自由に物を言う姿が、我ながら実に滑稽だった。
 そうこうしているうちに、たたみ掛けるように他の委員も決まっていって……残るはあとひとつとなった。途端に静まり帰った教室で先生が言う。
「風紀委員の立候補は? 誰もいないのか?」
 まずやるつもりはないが、もし自分が何らかの委員に属するとすれば、図書委員がいいと思っていた。が、図書室を管理する側よりも利用する側でいたいヒナタは、そもそも立候補するつもりなど微塵もなく、ましてや堅苦しそうな風紀委員などもってのほかだった。他人任せな自分に少しの罪悪感を覚えながらも、誰かが申し出るのを待っていたら――
「えっと……いち、に、はるの……、ひ、『日向』さんの席かなそこは……日向さん、体育委員のとき、手を上げてくれてたよね? せっかくだし、風紀委員はどうかな?」
「!」
 唐突に、頭上から重い金属が降ってきたかのような激震を覚えた。心ならずもぱくぱくと開閉する口を手で抑えて、真っ白になったまま固まってしまった……!
「ヒナタ……お前も体育委員やりたかったのか? ちょっとそれはどうかと思うけど、お前にとっては大きな一歩だってばよ。体育委員はオレとサスケに任せて、風紀委員やってみてもいいんじゃねーかな」
「そ、そうだなぁ……いいんじゃね?」
「ヒナタ、大丈夫? まあ、頑張ってね……」
 穴があったら入りたいとは今のヒナタのためにあるような言葉だ。片想いの相手と同じ委員会に入ろうと欲を出し、すぐに引っ込めたもののばっちり見られていて……さらには不適格だからと他の役割を薦められ、何も知らない彼に応援までされてしまった。もう死んでしまいたいくらいに恥ずかしかった。
「……おいおいお前ら冷たいぞ。ヒナタ、何かあったらオレがサポートしてやるってばよ。オレがいるから、頑張れ!」
「無理しなくてもいいのよ? 先生間違えたかな……ごめんね……」
「……いいえ……」
 それなのに、ナルトは何の衒いもなくヒナタを庇ってくれる。きっと、こういうところが好きなのだ――誰にでも分け隔てなく熱くてあたたかい、太陽みたいなところ。自分が変な子だという自覚は十分あり、そんな自分が大嫌いでもあり、それでも彼だけはずっと人並みに接してくれる。ヒナタの存在を認識して、尊厳を守ってくれる。そんなナルトが応援してくれるのならばと、ヒナタは決死の思いで腹を括った。
「私……やります……」
「よく言った! 見直したってばよ! 困ったことがあったらいつでもオレに相談しろよ」
「あ、ありがとうナルト君……」
 すると、自らの手で勝手に距離を取っていたクラスメイトたちも、殊の外やさしかった。
「ナルトなんかに相談したらもっと拗れるぞ。オレが飼育委員の傍らで存分にサポートしてやるからな」
「そうよ、かっこつけてんじゃないわよ。ヒナタ、よかったら私も頼りにしてね」
「キバ君もサクラちゃんも、ありがとう……」
「じゃあ、委員会は決まりだね。みんな、一年間頼んだよ。学級委員と風紀委員はこの後集まるそうだから、終業したら行ってきてね」
 首を傾げてにっこりと微笑んだ先生は、推定年齢よりも、ずいぶん幼く見えた。

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