オフ会記念・コピー本
一部ネジヒナ学園パラレル

花風

     2

 放課後、終業のチャイムを承けて、思い切り背中を叩いてくれたナルトと別れたら、指定された教室を探した。
 ――あ、おいお前も手加減しろよ。ヒナタは女の子だろ。
 ――野蛮なキバにだけは言われたくねぇな。
 ――お? なんだよお前やるのか? よし分かった表へ出ろ。ドッヂボールで勝負だな。
 ――だったらオレもやる……格の違いを見せつけてやる。
 ――サスケ! 言ったな? オレは負けねぇからな!
 ――じゃあみんなでやろうぜ! おーい今から運動場でドッヂボールする人ー!
 ――はーい!
 ――めんどくせぇが暇だしやるか。
 ――じゃあボクも混ぜて。
 中学生になっても何も変わらない。和にあふれた級友たちを背に、ひとり粛として委員会へと向かう。しかし、変に浮かれていたせいで、自分が方向音痴であったことを忘れていて、大して広くはない校舎を探し回ったのだが、指定の時間までに辿り着けず、ようやく見つけた頃には、すでに委員会は終わってしまっていた。己の無思慮が信じられなくて、涙が零れた。中学に入学して早々、さっそくふたつの失敗をしてしまったのだ。せっかくナルトがフォローして励ましてくれたのに。普段あまり話さない級友にも、声を掛けてもらったのに。例によって間の抜けた自分に、心底の嫌気が差した。
 ……しかして夕陽の射す教室には、誰もいないように見えたので、落ち込んだままに引き返そうとしたのだが、そのすぐ後、
「お前が日向ヒナタか?」
 冷たく整った顔をぴくりとも動かさず、鼻にかかった低い声で呼び止めてきた、初対面の男子生徒と対峙していた。彼は引き戸の淵に凭れかかり、腕を組んで、頭の天辺から爪先に至るまで、じろじろという擬音が聴こえてきそうなくらい、ともすれば、それははしたない行為として糾弾されてもおかしくないくらいに、全身を舐めまわすようにこちらを見ていた。
(誰? こっ、こわい……!)
 突然のことに恐怖のあまり目を合わせられない……。
 暫しの沈黙の後、どうにか視線を上げ、ぎりぎり目に入ってきた胸元の名札に、『日向』と記されているその人は――きれいな顔も台無しな、射抜くような鋭い視線と眉間の皺から、相当に損をしているのではないかと思った。黒茶の長い髪を、緋色の夕陽が淡く透かす様は、目を奪われるくらいだというのに……。どうしてこんなにも、威圧感のある怒った顔をしているのだろう? 些か疑問に思った。
 濃紺の短い髪を手持ち無沙汰な指で梳かし、下ろしてきてチェックのリボンの前で結んでいたら、静寂に包まれていた空気が震えた。
「……その被害者のような態度はなんだ。オレはライオンか何かか?」
 言っている意味が分からなくて咄嗟に顔を上げたら、ため息をついた彼が、もう一度口を開いた。
「申し遅れた……オレは風紀委員長の日向ネジだ。お前が来るのを待っていたのだが、一向に埒が明かないので勝手に進めさせてもらった。……そこで、お前には副委員長をやってもらうことになった。初回から連絡もなしに委員会をすっぽかしておいて異論はないな? 先に言っておくが、オレは厳しいから覚悟するんだぞ」
 そうやって得意げに言う彼は、実に意地悪そうな顔をしていた。小心者のヒナタは、今すぐにでも逃げ出したくなった。
 悪いことは立て続けに起こるものなのだろうか? 本当はやりたくなかった風紀委員を自業自得でやることになり、情けなくも道に迷って初っ端から委員会を欠席。……極めつけは見るからに怖そうな先輩に、目をつけられてしまった。どうしていつもこうなるのだろう。暗然として俯いていたら、
「なんとか言ったらどうなんだ。真っ先に言うことがあるはずだろ」
 彼が高圧的に急かすので、空気を和らげようと、無理やりに言葉を絞り出した。
「……日向ってわりと珍しい名字なのに、偶然ですね。嬉しいです」
 しかし何を間違えたのか、ただでさえ深いネジの眉間の皺が、余計に深く刻み込まれてしまった。
「馬鹿か? 今言うべきはそれじゃないだろ」
『馬鹿』だと面と向かって言われたのは初めてで、再び恐怖で固まった。が、誰もいない静かな廊下で向かい合うふたりとは対照的に、遠くの運動場からは男子たちの楽しそうな声が聴こえてきて、また泣きたくなった。そのまま何も言えずにいたら、手首に少し遅れて背中にも衝撃が走り、信じられなくて一瞬目を疑ったのだが、どうやらこれは事実のようで、廊下にあったはずの体が教室の中、入ってすぐの壁に力ずくで押し付けられていた。……恐る恐る視線を上げれば、不思議とよく似た薄紫色の目と目がぶつかって、そのあまりの鋭さに、息が詰まってすぐに逸らした。
「ヒナタだったな。名字が同じだとややこしいから下の名前で呼ぶ。……ヒナタは今日なぜ委員会に来なかったんだ? まだ一学期の初めだぞ? 舐めてるのか? 風紀委員たる者が、それでいいと思っているのか?」
 続いて、矢継ぎ早に繰り出された質問の数々に、ぐうの音も出ないほどの正論とはいえ、怖くて涙が出てきた。すると、いっそう強く押さえ付けられ、
「オレの質問に答えろ。泣くのはそれからだ」
 性急に答えを求められたので、自然と溢れ出る涙を、強引に圧して言った。
「……教室が分からなくて、道に迷ってしまって……急いで探したのですが、間に合わなくてごめんなさい……それでも待っていてくださって……ありがとうございます……」
 途切れ途切れに伝えた言葉が、ネジにどのように響いたのかは分からない。だが呆れたような面持ちになった彼は、突然ヒナタの紺色の髪に触れ、自信がなくて顔の横に垂らしていた長い毛束を、耳に掛けた。またしても何が起こったのか分からなくて……恐怖に震えた。
「まったくだらしない。スカート丈も短いぞ。校内の風紀が乱れる。まずは、オレたちが率先して守らなければ、示しがつかないんだ。副委員長ならよく覚えておけ」
 直後ネジの口から飛び出した言承けに、ヒナタは愕然とした。
 ……だったらあなたのその長髪はどうなの?
 こっちは好きで風紀委員になったわけでも、喜び勇んで副委員長に立候補したわけでもないのに――。
 背中まである長い髪をひとつに束ねた様は、確かに清潔感があるのだけれども、こと髪型に関しては、ネジだって人のことを言えた義理ではない。思わず零れ落ちそうになった本音をぐっとこらえて、唇を噛んだ。
「何か言いたそうだな。……特別に聞いてやるから言ってみろ」
 尚も壁に押し付けられたまま、怖くて本当のことなんて言えるわけがなく、冷たく見下げてくる目を、真っ直ぐ見据えるだけで精一杯だった。
「これからゆっくりいたぶってやる……お前、ちょっとズレてるからな。一から躾け直してやるよ」
 悪戯に笑うその顔は、悪名高い背徳者にさえ見えた。

 それからの日々は地獄だった。宣言どおり、いたぶるどころか虐めまがいに接してくるネジにあてられて、毎日が疾風の如く過ぎてゆく。ネジは、ヒナタを自分のマネージャーか何かと勘違いしているようで、下らない用件ですぐに呼び出してくるので、瞬く間に疲れ切ってしまった。例えば、ノートやシャーペンの芯が無くなったから買ってこいだとか、辞書を忘れたから貸せだとか、同じクラスの誰かに頼めばいいことを、逐一ヒナタに言ってくる。これは何の罰ゲームなのかと、さすがに腹が立った。一方の彼はというと、一切悪びれた様子はなく、心の奥底から楽しんでいるようにも見えて、ヒナタは初めて上下関係の不条理を知った。乱れた風紀を正す以前に、乱した和を正せばいいのにと、心の中で何度も叫んだのだが、届くはずもなく。けれど、決まってさいごにありがとう。と笑う彼に、なぜだか心を捕らえられ、こびりついて離れなくなった。
 例に漏れず、今日も放課後に待ち伏せられて一緒に帰ったのだが、別れ際、「夜布団の中で目を瞑ったときに思い出してはいけない言葉」なるものを吹き込まれて、眠れなくなってしまった。怖がって耳を塞ぐヒナタとは対照的に、至極嬉しそうに大きな声でわめく様は、悪魔にも見えたのだった。また別の日には、「手を出せ」というので無鉄砲に従ったら、どんどん物を積み上げられて、身動きが取れなくなった。柄にもなく上機嫌に笑む顔を見ていたら抗議する気も消え失せて、力なく受け流している外なかった。
 さらに、自分がマゾヒストである自覚は一切ないのだが、これまでは決して誰かの目に留まらず、取るに足らない存在だったヒナタにとって、刺々しくも常に構ってもらえることに、仄かな喜びを感じている、という驚愕の事実に気づいてしまった。これはいけない、下手をすればDV男の手口だ……と思えば思うほど、ネジへと理不尽に注がれる訳の分からぬ感情に、かぶれる一方だった。初めて溺れた感覚に、名前を付けることもできずに戸惑った。
 心の中、不本意にもいっぱいになるその存在に、だんだん正気が失われてゆく――。

 早くも入学から一週間が経ち、花風に煽られた桜も心許なくなってきた頃、ついにヒナタは申し立てをすることにした。いつも呼び出してきてばかりのネジを、反対に呼び出してやることにしたのだ。それだけで十分溜飲が下がったのだが……。今にも葉桜に移り変ろうかという桜の木の下へ、長い髪をなびかせてやって来たネジは、
「な、なんだ……ヒナタがオレに用があるなんて、いったい何があった?」
 変にぎこちなく、なぜだかこちらの方が面食らってしまった。しかしよく考えてみれば、彼がここへ来た時点で目的は果たしてしまったので、
「べ……別に……特に用はないのですが、ネジさんをここに呼んでみたくなって」
 正直に答えたのだが、通例ならば彼は怖い顔をしているはずが、一度も見たことのない呆けた顔になっていて、ヒナタは些かうろたえてしまった。
 校舎の片隅、運動場に程近い渡り廊下。やがて花嵐となった荒い風が、淡いピンク色の欠片を巻き上げてゆく。何も言わずに立ち尽くす彼に、助け船を出そうと息を吸えば、
「オレと、桜が見たかったのか?」
 ……とんでもない勘違いを呼んでいたことに気づき、ヒナタは慌てて弁明した。
「ち、ちちち違います……! 私はただ、私の申し付けにあなたを従わせたくて……って、私ったら何言ってるんだろう? あの、そうではなくて、私、あなたとここで……普通にお話がしたかったのかも……? 命令とかではなく、上下関係とかもなく、普通の友人、として?」
 咄嗟に口を衝いた言葉は、自分でもまるで意識していなかった本音で、驚きつつも怖々しながら返答を待った。しかし彼が、
「普通の友人だと? そんなの、なれるわけないだろ。ヒナタはこれからも、何も考えずにオレの命に従っておけばいい。従えるなど生意気だ。オレの言うとおりにオレの補佐をしろ」
 すぐさま普段の調子を取り戻して言うので……ヒナタはがっかりしてしまった。それだけでなく、不意に溢れ出す涙を抑えきれずに、人目も憚らずに深く項垂れてしまった。が、よく考えてみればこれもおかしい。彼へのささやかな仕返しのはずが、なぜこちらが歩み寄ったあげく泣いているのだろう? 自分はいったい何がしたいのだろう? 分からなくなった。
 すると――。
「これは見世物じゃないぞ……」
 この一週間で散々聞き慣れた声が、静かに響いたと思ったら、
「え……?」
 手首に鋭い痛みが走って、眼前に揺れるきれいな長い髪を掠める花びらと、細い腕を軽々と包む、大きく繊細な手が視界をさらった。
「あのままだとオレがお前を泣かせたみたいだろ。それも振ったみたいに見えて、体面がよくない」
 ネジのよく分からない言動に触れ、ようやく自分が置かれている状況を悟った。同時に、行き場のない羞恥で消え入りそうになった。
 腕をぐいぐい引かれているせいで、いつもの自分では考えられないくらいのスピードで校門を抜ける。その間もネジの手がほどかれることはなく、力が緩むこともなく、その痛みにさえおかしな感情が軋めく、馬鹿な自分に気づく。……しかして閑散とした住宅街を越え、最寄駅へと続く線路沿いの道を抜けて、その先にある小さな公園に着く頃には、疾うに息も切れ切れになっていた。
 無言のままに端っこのベンチに腰掛けても、無理に繋がった腕が解放されることはなかったので、ヒナタはどうしようもなくなって、ついに言葉を投げた。
「何のつもり、ですか……?」
「…………」
「手首が……あの、は、離して? 痛いです」
「…………」
 何も言わないネジを不思議に思って覗き込めば、ふいと顔を背けられてしまい、またしても静寂が蘇った。仕方がないので、しばらく沈黙に身を委ねていたら――
「……仲良くしてやってもいい。ただし従うのはヒナタの方だ」
 唐突に、ついさっき伝えたことへの返答がきた。それはどこかずれているようにも思ったのだが、意味も分からず嬉しくて、怖かったはずの彼が、急にかわいく見えてきた。この感覚はいったい何なのだろう? 自分でもまったくよく分からないのだが、再び正直に、素直な想いを伝えた。
「……さっき自分で言って気づいたのですが、私、あなたに構ってもらえて嬉しかったみたいなんです……可笑しいでしょう? なぜだか最近、毎日すごく楽しくて……自分でも自分が馬鹿みたい」
「間違いない。ヒナタは馬鹿だ……でも、オレはもっと馬鹿だ」
 今度はすぐにくれた答えを承けて、強引に結ばされた彼との説明しがたい主従関係、自ずと零れ落ちる名もなき感情を、訳も分からぬままにいとおしく思った。ずっと背を向けたままのネジの表情を窺い知ることはできなかったが、今のヒナタと同じく、穏やかに笑ってくれているような気がした。
 ――あなたがそうしたいなら、いたぶってくれてもいいけど……できれば、かわいがってほしいです。
 ――ヒナタが望むのならじっくりかわいがってやる。だがどうなっても知らないぞ……覚悟はいいな?
 ふたりの学生生活は、今始まったばかりだ。

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